経済コラム「日本経済 快刀乱麻」

Vol. 42 FRB新議長を試す市場

(2014年2月28日)

米の量的緩和縮小で株価下落?

今年に入って世界的に株価の動揺が続いた。NYダウは2013年末に1万6576㌦の史上最高値をつけた後、年明けとともに下落し始め、2月上旬には1万5372㌦まで下げた。日経平均株価も年末には1万6291円と6年ぶりの高値をつけた後、2月5日には一時、1万4000円を割り込むところまで下げた。

この理由として量的緩和縮小継続をきっかけとする新興国の不安が指摘されている。昨年5月に株価が急落した時も、当時のバーナンキFRB議長が量的緩和縮小の可能性に言及したことがきっかけで、新興国からは量的緩和縮小で資金が流出するとの批判が強まる場面があった。今回もそれに似た展開にも見える。

しかし量的緩和縮小はすでに昨年12月に決定されたもので、量的緩和の規模を段階的に縮小するやり方も既定路線だったわけで、それをきっかけに動揺が始まったという“解説”には、やや疑問が残る。

では世界的な株価下落の原因は何だったのだろうか。その一つとして考えられるのは、FRB(米連邦準備理事会)のジャネット・イエレン新議長の手腕に対する漠然とした不安ではないかと思う。

イエレン氏はバーナンキ前議長の後任として2月1日にFRB議長に就任した。女性初のFRB議長として注目を集めるイエレン氏は有名な経済学者で、夫はノーベル経済学賞の受賞者、息子も経済学者という経済学者一家。そのうえ、これまでサンフランシスコ連銀総裁やFRB理事、副議長などを歴任し、政策運営の指導者としての実績も申し分ない。

ただそれでもFRB議長となると、従来以上の指導力が求められることになる。副議長に指名されたフィッシャー氏はイエレン議長の先輩格にあたる大物で、イエレン新議長の後ろ盾となることが期待されているが、逆にイエレン議長が指導力を発揮しにくくなるのではないかとの見方にもつながるわけだ。

ページトップへ

「マエストロ」も当初は影が薄かった

振り返ってみれば、これまでもFRB議長が交代するたびに新議長の手腕を試すかのように危機が訪れていた。

すぐに思い出すのは、1987年8月にグリーンスパン議長が就任した時のことだ。当時、その前任者だったボルカー氏がカリスマ的な存在だっただけに、市場ではグリーンスパン議長の手腕を不安視する空気があった。

とくかくグリーンスパンの前任者・ボルカーは偉大だった。同氏は当時、石油危機後のインフレと不況の同時進行というスタグフレーション下にあった米国経済を立て直すため、果敢な利上げを実施した。これには反対や批判もあったが、それをはねのけてインフレ退治に成功したことで高い評価を得た。2メートル近い長身と大きな目がトレードマークで、これもカリスマ性を高める効果があったかもしれない。同氏が議長退任直後に来日した際にインタービューしたことがあるが、その“カリスマ・オーラ”に圧倒されたことをよく覚えている。

それだけに、後任のグリーンスパン氏は影が薄かった。その新議長を試すかのように、就任2か月後の10月19日、あのブラックマンデーが起きたのだった。しかしグリーンスパン議長は実に素早く動いた。FRBは「流動性を供給する用意ができている」という声明を発表して、大量の短期資金を供給して市場の動揺を鎮静化させた。これによってブラックマンデーは一時的な株価下落で済み、グリーンスパン議長の評価は高まったのだった。

その後、同氏は長期間にわたって景気を持続させることに成功する。結果的に20年近くFRB議長を務めたが、中でも90年代は10年間にわたる景気拡大を実現させ、米国に未曽有の好景気をもたらした。

グリーンスパン流の特徴は、市場に予断を与えないように常にあいまいな表現を使うことだった。我々メディアは常にその発言の真意を探るのに苦労したものだったが、それを繰り返すうちにいつの間にか政策意図を織り込ませていくという天才的な手法だった。その絶妙な手綱さばきは「マエストロ(指揮者)」と評された。

同氏の発言のあいまいぶりを示すエピソードがある。議長時代の1997年、独身だった同氏は有名なテレビ記者と交際していたが、ある日ついにプロポーズした。ところがその言葉があいまいだったため、彼女はプロポーズされたことに気がつかなかったというのだ。彼はその後もプロポーズを繰り返し、3度目でやっと気づいてもらえたそうで、二人はめでたくゴールインした。

この話、私はNYに駐在していた頃に聞いたのだが、最初はグリーンスパン発言をネタにしたジョークかと思ったら、実話だった。

ページトップへ

経済危機を乗り切った「ヘリコプター・ベン」

話は脱線してしまったが、グリーンスパンに比べると後任のバーナンキ氏の発言は常に明快だった。バーナンキ氏は議長就任前のFRB理事時代に、日銀のデフレへの対応が不十分だとして「デフレ脱却のためには何でもすべきだ。ヘリコプターからお札をまけばよい」と発言し、「ヘリコプター・べン」(ベンは同氏のファーストネーム)とのあだ名がついたこともあるほどだ。

そのバーナンキ氏が議長に就任した時も試練があった。2006年2月に同氏が議長に就任して間もなく、住宅バブルの崩壊が始まり、翌年の2007年にはサブプライム危機が表面化、さらに翌年2008年のリーマン・ショックへと拡大していったのである。バーナンキ議長はこれに対応して短期資金の大量供給や量的緩和導入に踏み切り、リーマン・ショック後の危機を乗り切り、景気を回復させることに成功した。

まさに「ヘリコプター・ベン」らしく、リーマン・ショック後の経済危機に対しあらゆる政策を動員して、経済立て直しを図ってきたと評価できるだろう。バーナンキ氏も学者出身で、1930年代の世界大恐慌の研究で知られている。その意味では、研究成果を政策に生かして世界大恐慌の再来を防いだとの評価も可能かもしれない。

こうして振り返ると、市場は今回も議長交代という端境期をとらえて新議長を試しにいっていると見ることができる。幸い、2月に入って株価の動揺は収まってきた。イエレン新議長の専門は雇用だ。新議長率いるFRBが雇用を重視した金融政策をどのように運営していくのか。新議長が前任の2人と同様に、危機を乗り切ることで、むしろ事態を好転させ、議長としての評価も上げることを期待したいものだ。

ページトップへ

*本稿は、株式会社ペルソンのHPに掲載したコラム原稿(2014年2月20日付け)を転載したものです。

ページトップへ