経済コラム「日本経済 快刀乱麻」

Vol. 70 EU離脱ショックで早くも英国経済減速の兆し
~世界のパワーバランス流動化のおそれも

(2016年8月17日)

7月のPMIはリーマン級の落ち込み~景気減速は長期化の可能性も

英国のEU離脱ショックが世界に広がっている。国民投票直後のパニック的な動揺は収まったかに見えるが、離脱ショックの影響が出てくるのはむしろこれからだ。世界経済の波乱要因となるだけでなく、欧州統合の枠組みを根底から揺るがしかねない。それは、世界経済の成長をけん引してきたグローバル化という流れを逆流させ、世界のパワーバランスを流動化させる懸念にもつながっていく。世界はいま重要な局面にさしかかっている。

英国のEU離脱で、まず懸念されるのは英国経済への悪影響である。実は早くもそれを裏付けるデータが出始めた。英国の金融情報サービス会社IHSマークイット社がこのほど発表した7月のPMI(購買担当者景気指数)の速報値は、製造業とサービス業を合わせた総合PMIが47.7となり、前月より4.7㌽低下の大幅悪化となった。景気判断の分かれ目となる50を下回ったばかりか、リーマン・ショック後の不況下にあった2009年4月以来7年3か月ぶりの低水準に落ち込んだのだ。4.7㌽という低下幅も1996年の統計開始後で最大となった。

PMIは企業の景況感を敏感に反映するデータで、景気の先行指標として近年エコノミストや市場関係者の間で注目度が高まっている。今回7月分の調査は7月12日~21日に実施しており、国民投票の結果を最も早く反映した経済データとなった。先の伊勢志摩サミットで安倍首相が「世界経済はリーマン・ショック直前の状況と似ていて警戒が必要」と発言し話題になったが、PMIの落ち込みはまさに“リーマン・ショック級”である。

しかしPMIの落ち込みに続いて、今後はじわじわと景気減速を示すデータが出てくることが予想される。このほど発表された4-6月期の実質GDPは2.2%の伸び(前期比・年率換算)となったが、7-9月期にはマイナス成長に陥るとの予測も出ている。

景気減速は長期にわたる可能性がある。他のEU諸国との間で関税が復活すれば輸出面での不利益を被ることになり、景気の下押し要因となる。関税を嫌って、英国に進出している外国企業が大陸側に工場を移転させるなどの動きが出てくる可能性がある。逆に、大陸からの部品輸入にも関税がかかるため、英国企業にとってコスト高要因となる点も見逃せない。

金融の中心地、シティの地盤沈下も避けられないだろう。報道によれば、米系の金融機関は一部業務や人員の大陸への移転をさっそく検討し始めたという。製造業でも金融機関でも、欧州の拠点としてのメリットが薄れるのである、英国に進出している日本企業も戦略の見直しが避けられない。

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これまでは堅調だった英国景気、欧州の下支え役

かつて英国は「英国病」という言葉が使われたほど経済低迷が続いていたが、1979年に登場したサッチャー首相が規制緩和、民営化、金融ビッグバン、外国企業の誘致などで経済立て直しと競争力強化を図り、英国経済を復活させた。これはサッチャーリズムと呼ばれ、グローバル化の先駆けともなったものだ。日産自動車をはじめ日本企業が英国進出を本格化させたのもサッチャー時代であり、シティが今日の金融センターとしての地位を確立したのも、その成果だ。こうした英国の経済発展がEU全体の経済成長の柱となってきたのだった。

実は、国民投票までは英国の景気は比較的堅調だった。2015年の実質GDPは2.3%、「好調」というほどではないが、英国が参加していないユーロ圏(19カ国)の1.7%に比べればやや高めの成長を確保している。リーマン・ショック以後はほぼ常にユーロ圏を上回る成長率を維持しており、債務危機とその後遺症で低迷が続く欧州経済の下支え役を果たしてきたのである。

失業率で見ても、ユーロ圏がようやく低下傾向にあると言ってもなお10%を超えているのに対し、英国は低下が顕著で、最近では4月には5%を割るほどになっている(2016年4月=4.9%)。EUの主要国ではドイツに次ぐ低さである。今回の国民投票で離脱派が勝利した背景の一つとして「移民の増加によってイギリス人労働者が移民に職を奪われたため」と言われているが、少なくとも失業率の数字から見る限り、それは実態上に過度に喧伝されたような印象だ。

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先行きが読めない離脱交渉の行方

ところがEU離脱で英国のおかれた立場は一変した。これに加えて、EUとの離脱交渉の先行きがいまだに不透明なことが、世界中の不安を大きなものにしている。

新首相選びは幸い予想より早く進み、穏健的残留派のメイ氏が首相に就任した。メイ首相は「交渉開始は急がない。離脱の正式通告は来年になる」と発言している。英国は正式通告の前の非公式交渉で有利な条件をかち取ってから正式交渉に入り、単一市場へのアクセスと移民制限の両方を認めさせようというハラのようだ。しかしドイツのメルケル首相などは「いいとこ取りは認めない」との姿勢で、隔たりは大きい。正式交渉開始後2年間が一応の期限となるが、今のところ交渉の行方は全く見えていない。

国内ではスコットランドの独立問題が再燃し、北アイルランドでも英国からの分離とアイルランドとの統一を求める動きも出ている。まさに「連合王国」は崩壊状態となりかねず、こうした状況は英国内の経済活動を冷やし、外国企業が英国への投資を控えるようになるなど、経済的な影響が長期にわたることも考えられる。

メイ首相がリーダーシップを発揮してEU離脱をスムーズに進めて“第2のサッチャー”になれるのか、道は険しいと言わざるを得ないだろう。

英国の経済低迷は当然のことながら欧州全体の経済低迷につながる。もともと大陸諸国の経済はドイツなど一部を除いて低迷が続いている。ここからさらに一段と落ち込めば、国によっては経済危機が再燃しかねない。現に、イタリアでは銀行の不良債権増加への懸念が強まって、市場を動揺させている。

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欧州統合は挫折のおそれ~グローバル化への逆風強まる

経済的な側面だけでなく、欧州統合という枠組み自体が怪しくなってきたことは重大な事態だ。EU各国では「反EU」「反移民」を掲げる政党やグループが勢力をのばしており、「EU離脱ドミノ」が懸念されている。すでに数年前からのギリシャ危機と欧州債務危機への対応をめぐってEU内で亀裂が生じていたが、最近では難民の受け入れをめぐって各国の対立があらわになるなど、EUは求心力より遠心力のほうが強くなっているのが実態だ。来年にはオランダとドイツで総選挙、フランスで大統領選と下院選挙が予定されており、反EU機運が高まる可能性がある。

もともとEUはまず経済統合からスタートし、最終的な目標として政治統合まで進めて欧州を一つにするという高い理想を描いていたが、今となってはそれは「夢のまた夢」の感がある。

ここで強調しておきたいのは、欧州統合の挫折は、グローバリズムへの逆流と世界のパワーバランスの流動化につながる懸念があるという点である。反EU、反移民という主張は「EUより自国が大事」という考えであり、米国のトランプ現象とも共通するものである。こうした思想は経済政策の面では保護主義となり、まさにグローバル化に背を向ける政策となる。冷戦崩壊後の世界経済の成長がグローバル化によってもたらされたことを考えれば、この反グローバル化は世界経済を構造的に停滞させることにつながりかねない。

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ロシア・中国の動きに要注意

パワーバランスの流動化という点では、たとえばウクライナ問題でEUはロシアへの経済制裁などで足並みをそろえてきたが、そうした結束にひびが入る恐れがある。ロシアに最も厳しい姿勢をとっているのが英国で、米国との強い同盟関係を核にしながらEUの結束も図るという構図だ。

しかしフランスやドイツは英国に比べるとロシアへの対応はやや柔軟だ。それはロシアとの経済関係が英国より深いという背景がある。それだけにEUという枠組みが非常に重要なわけだが、英国のEU離脱により英国と独仏の間には距離ができ、ロシアへの姿勢にも差が出てくる可能性がある。ロシアは独仏への接近策を強めることが考えられる。

米国のトランプ大領領誕生の可能性も考慮に入れれば、米英、米欧の同盟関係が弱体化することはありうることで、その間隙をついてロシアが影響力を増大させることも考えられる。

ロシアと並んで要注意なのが中国の動きだ。ちょうど離脱ショック最中の6月25日、中国が主導して設立したAIIB(アジアインフラ投資銀行)の初の年次総会が北京で開かれた。たまたま日程が重なったものだが、AIIBに象徴的に表れているように、中国は混乱する欧州に資金提供や投資を増やすことで影響力を増大させようとしている。

先日、日本経済新聞電子版に興味深い記事が掲載されていた。それによると、英国の国民投票当日の6月23日にロンドンのキングズクロス駅近くにある408室のホテルを香港企業が7030万ポンド(約96億円)で買収したのに続き、その翌日にロンドンで売り出されたマンション3物件には香港や中国の富裕層からの購入予約が殺到したという。不動産価格の下落とポンド安によって、こうした動きは活発化するとみられる。

中国の習近平主席は「新シルクロード構想」を打ち出し、欧州への本格進出と影響力増大の戦略を推進している。すでにギリシャでは同国最大の港、ピレウス港を中国国営の海運会社が買収して、欧州本格進出の足掛かりを着々と築いている。英国のEU離脱は中国にとって「千載一遇のチャンス」(前述の日経電子版)となるかもしれない。

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過度な「反EU」に反省ムードも

このように英国のEU離脱は、世界経済の構造と国際関係の枠組みを大きく変えるほどのインパクトを持っていることに警戒せざるを得ない。しかしその一方で、離脱ショックで危機に直面して“逆の力学”が働く可能性にも期待したい。

英国とEUとの離脱交渉で、双方が危機を回避するため影響を最小限に抑えるように対応することは十分考えられる。国民投票の後の英国で行き過ぎた反EU機運に反省ムードが出ていると伝えられていることも、その兆しと見ることができるかもしれない。

また英国の中央銀行、イングランド銀行は景気減速懸念に対応し、8月に入って量的緩和を再開した。メイ政権も財政出動を検討しているという。このように政策当局は迅速な政策対応に動いており、国際的にも各国が協調して危機拡大を防ごうとしている。こうしたことから過度な悲観論が薄れつつあるのも事実だ。

日本では安倍政権が大型の経済対策を打ち出した。事業規模は28兆円という大規模なもので、安倍政権では最大となる。国内景気のテコ入れを図るとともに、EU離脱ショックの波及を防ぐことが目的の一つで、まさに政策総動員の構えだ。その効果にも期待したい。

*本コラムは、株式会社ペルソンのHPに掲載された原稿(2016年8月5日付け)を一部修正・加筆したものです。

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