経済コラム「日本経済 快刀乱麻」

Vol. 27 「異次元の金融緩和」で株高に弾み~それは“バブル”にあらず

(2013年4月23日)

デフレ脱却へ強い意志を印象づけた黒田日銀

日銀は4月4日、黒田新総裁就任後初めての金融政策決定会合で大胆な金融緩和策を打ち出した。物価上昇率2%の目標を2年で達成すると期限を明言し、そのためにマネタリーベース(中央銀行が金融機関に供給するおカネの量)を2年で2倍の270兆円に増やし、国債の買い入れ額も大幅に増やすなどというものだ。事前に市場が予想していた内容をはるかに越えるポジティブ・サプライズだった。

黒田総裁は記者会見でこれを「量的・質的金融緩和」と名づけ、「従来とは次元の異なる緩和だ」と強調した。そして「従来のような戦力の逐次投入はしない。現時点で必要な措置をすべて講じた」と発言し、デフレ脱却への強い意思と政策転換を印象づけた。黒田総裁は財務省の財務官時代、円高を食い止めるために連日多額の円売り・ドル買い介入を実施したことで有名だが、介入を通じて市場と向き合ってきただけに、市場を納得させる政策とは何かを心得ていると見える。

記者会見では黒田総裁の横に3枚のパネルが立てかけられ、「物価目標2%、達成期間2年、マネタリーベース2倍、国債保有額2倍以上」などと書かれていた。「2」がキーワードというわけだ。総裁はそれを指差しながら説明していたが、政策をわかりやすく伝える工夫もしていたことがよく表れていた。日銀はその後、エコノミストや銀行幹部向けの説明会も開くなど、政策の内容だけでなく情報発信のやり方も「従来とは次元の異なる」方法を取り入れたようで、黒田日銀の本気度が伝わってくる。

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始まった本格的な株価回復

この「異次元の緩和」をうけて、株価は一段と上昇した。金融政策決定会合が始まる前日(4月2日)に1万2003円だった日経平均株価は、4月11日には1万3549円まで駆け上がった。わずか7営業日で1500円以上もの上昇である。為替相場でも一段と円安に弾みがついた。決定会合の4日に一時、1ドル=92円台だったものが、週明けの8日には99円台まで下落した。新緩和策のインパクトがいかに大きかったがわかる。

では、この株価上昇は今後も続くのだろうか。一部には「今の相場は安倍バブルだ」「期待先行で実態がない」などという見方がある。しかし本コラムでこれまで指摘してきたように(Vol.25など)、アベノミクスによって日本経済はデフレ脱却に向かって大きく動き出している。当初はたしかに期待先行の色彩が強かったが、ここまで株価が上昇したことで、企業や個人の行動にも変化が出始めているのだ。株価上昇が実体経済に与える効果を軽視してはいけない。ちょうどそうしたタイミングで「従来とは次元の違う金融緩和」が実施されるのだから、株価上昇と景気回復はより確かなものになる。株式相場はバブル崩壊後の低迷から脱して本格的な回復が始まっていると見ている。

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バブル崩壊後、3回の株価回復局面
~日銀の姿勢が一因で本格回復に至らず

バブル崩壊後の株式相場を振り返ると、これまで次のように3回の回復局面があった(図表参照)。

①95年7月~96年6月、日経平均は1万4400円台から2万2600円台
 (上昇率56%)
 ②98年10月~2000年4月、1万2800円台から2万800円台(同62%)
 ③2005年8月~2007年7月、1万1700円台から1万8200円台(同55%)

ところがいずれも株価上昇は長続きせず、その後は深刻な不況に陥ってしまった。まず、①の株価上昇はバブル崩壊後による不況が大底を打って景気が回復していたためで、ちょうど株価が高値をつけた96年6月に政府は消費税引き上げ方針を決定し、翌97年4月から実施した。一般的にはこれが原因で景気が悪化したと言われているが、その頃、日銀は利上げを模索していた。当時は公定歩合が史上最低の0.5%が2年近く続いていたため、利上げして超低金利を修正したかったのだ。そのため市場で利上げ観測が広がる場面もあった。実際には、景気が悪化したため利上げはなかったが、97年の11月以降、山一証券など一連の金融・証券の破綻が相次ぐことになる。

②はITバブルと呼ばれたが、2000年4月に株価はピークをつけITバブル崩壊は始まっていた。しかし日銀は「景気は回復した」としてその頃から利上げを模索し始め、同年8月に政府などの反対を押し切ってゼロ金利解除に強行した。これが株価下落と景気後退にとどめを刺し、不況は深刻化していった。

③の株価上昇が終わった主因はサブプライム問題だが、やはり日銀の姿勢が関係している。2006年3月に日銀は量的緩和の解除に踏み切り、続いて同年7月と2007年2月に利上げした。これが一因となって株価は2006年に一時的に下落している。実は、日銀はさらに2007年8月にも利上げする方針だった。しかしちょうどその直前にサブプライム問題が表面化して世界同時株安となったため利上げを“延期”したのだった。これはその後のサブプライム問題の深刻化とリーマン・ショックによって実現しないまま終わってしまうのだが、こうした日銀の姿勢が株価上昇を終わらせる一因となったことは否定できない。

このように、過去3回の株価回復局面ではいずれも日銀が金融引き締めを実施または模索していたことがわかる。共通しているのは、バブル崩壊後の不良債権問題やデフレなどの構造問題が解決していないにもかかわらず、一時的な景気回復をとらえて金融引き締めに動いたことだ。その結果、株価上昇も短命で終わり、デフレ脱却も遠のくという歴史を繰り返したのだった。

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日経平均株価2万円も
~金融緩和だけでなく成長戦略も不可欠

これに対して今回は正反対の金融緩和、しかも「異次元の緩和」である。それをデフレ脱却まで続けると宣言している。つまり過去3回の株価のピーク時には無かった「緩和継続」という大きな支えが、今回は効き続けることを示している。こうしてみると過去3回を超える本格的な上昇相場となる可能性がある。もちろん一時的な調整局面はあるだろうが、それを経て日経平均株価は今後2年程度で、前述③のピークである1万8000円前後まで上昇する可能性は十分にあるし、①②の高値である2万円台を回復してもおかしくない。

ただ問題は、金融緩和と言っても限度があるということだ。黒田総裁が発言した通り、「現時点で必要な措置をすべて講じた」ということは、当面は追加の緩和はなさそうだ。この間の緩和による円安に対し新興国や欧州だけでなく米国からも警戒感が出始めているため、金融緩和に頼りすぎるわけにはいかないという事情もある。

そもそも金融緩和は、デフレ脱却のためにどうしても必要だが特効薬ではない。金融緩和はアベノミクスの「3本の矢」の第1の矢と位置づけられているが、毛利元就の教えの通り、1本の矢だけでは折れてしまうおそれがある。矢が折れないためには3本の矢がまとまる必要があるのだ。中でも重要なのは「第3の矢」である成長戦略だ。安倍政権は6月に成長戦略をまとめる方針だが、これも「従来とは次元の違う」成長戦略の具体策を示せるかどうかがカギとなってくるだろう。

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*本稿は、株式会社ペルソンのHPに掲載したコラム原稿(4月19日付け)を一部加筆修正したものです。

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