歴史コラム「歴史から学ぶ日本経済」

Vol. 23 佐賀県主催「明治維新150年記念シンポジウム」に登壇して~意外(!?)佐賀は先進藩だった、日本経済再生と地方創生のヒント満載!

(2017年03月20日)

このほど、佐賀県が「明治維新150年記念シンポジウム」を開催し、同シンポジウムのパネラーの一人として参加してきました。

来年2018年は、1868年の明治維新からちょうど150年に当たります。明治維新と言えば、薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結んで幕府を倒して実現したというイメージが強いのですが、「薩長土肥」という言葉があるように、肥前つまり佐賀藩も明治維新の中心の一翼を担っていました。佐賀藩はペリー来航以前からいち早く近代化に取り組み、その軍事力と技術力は薩長をしのぐほどだったのです。佐賀藩が製造した最新型の大砲が戊辰戦争で威力を発揮し、これが幕府軍の敗北を決定的にしたという歴史があります。明治維新後は大隈重信、副島種臣、江藤新平など多くの佐賀藩出身者が新政府の要職に就きました。

今日では佐賀県と言えば、各種の都道府県ランキングでも40位以下になることが多いなど地味なイメージが強いですが、幕末維新期は意外なことに(!)最先進地域だったのです。佐賀県はそのような歴史を再認識して先人が残した教訓を地域活性化につなげようと、今年から来年にかけて明治維新150年を記念する事業を展開する計画です。

同シンポジウムはそのプレ・イベントとして開催されたもので、まず「武士の家計簿」の作者として有名な歴史学者の磯田道史氏が基調講演し、続いてパネルディスカッションが行われました。パネラーは磯田氏の他に、山口祥義佐賀県知事、歴史作家の植松三十里氏、佐賀藩主・鍋島家の史料や伝来品を保存・展示している徴古館の主任学芸員・富田紘次氏、それに私で、佐賀新聞社の中尾清一郎社長がコーディネーターをつとめられました。

その内容は佐賀新聞(3月13日付け)で報道されています。
  ①http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/413254
  (紙面=1面の拡大表示はこちら。または下記の紙面画像をクリック。)

  ②http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/413252
  (紙面=28面の拡大表示はこちら。または下記の紙面画像をクリック。)

パネラーの皆さんは当時の佐賀藩藩主・鍋島直正のリーダーシップによって佐賀の先進性につながったことを異口同音に強調されていました。山口知事は先人の業績に学んで佐賀を元気にしようと呼びかけました。

私が強調したのは、佐賀藩は藩主・鍋島直正のリーダーシップの下で、①財政再建、②軍事力強化と西洋技術の導入、③教育改革――に取り組み、その成果が明治日本の近代化の礎を作ったということです。中でも②は今日になぞらえれば、成長戦略とイノベーション、そしてグローバル化ということになるでしょう。

その成果の代表例が、2015年に世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」の一つ、三重津海軍所跡(佐賀市)です。これは佐賀藩が1858年に開設したもので、日本の海軍基地と造船ドックの先駆けとなった施設です。

当時の佐賀藩と日本は、まさに欧米列強による侵略の危機にさらされていたわけで、それをいかにして防ぐか、そのためには軍事力を強化することが急務でした。しかもその軍事力強化のためにはそれを支える経済力の強化が重要でした。佐賀藩はそれを自力で成し遂げたのです。いわば成長戦略と地方創生の見本でもあります。

来年の「明治維新150年」については、佐賀県をはじめ、薩摩の鹿児島県、長州の山口県、土佐の高知県の4県がそれぞれ記念事業などを展開しており、さらに「平成の薩長土肥連合」と銘打って、4県共同で観光客誘致や地域活性化の取り組みを進めています。私も1昨年11月に山口県が開催した「明治150年記念シンポジウム」で基調講演とパネルディスカッションを行いました。

薩長土肥が明治維新の立役者になったのは偶然ではありません。各藩ともに欧米列強による侵略の危機に直面して、自力で軍事力と経済力を強化したことが勝利につながったのです。まさにピンチをチャンスに変えたのであり、ここにこそ、現在の日本経済が再び元気になるヒントが詰まっています。

明治維新150年という節目を、地域の活性化とともに全国的にも経済再生の機運を高める機会にしたいものです。

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