Vol. 14 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産登録勧告
(2015年5月8日)
ユネスコの諮問機関・イコモスが「明治日本の産業革命遺産」を世界遺産に登録するよう勧告しました。この「明治日本の産業革命遺産」については、本コラムで以前に書いたことがありますが、私自身、産業遺産国民会議という応援団体の発起人として参加し世界遺産登録をめざす活動をお手伝いしてきました。それだけに今回の勧告を大いに喜んでいるところですが、個人的感想は抜きにしても、同遺産が世界遺産に登録されることは日本経済の復活をめざす現代の私たちを大いに力づけてくれるものなのです。
同遺産は福岡、長崎など8県11市の23施設で構成されています。鹿児島、佐賀、萩、静岡県伊豆の国市などの幕末の関連史跡から、長崎市の三菱造船所、北九州市の八幡官営製鉄所、福岡県大牟田市などの三池炭鉱、さらには岩手県釜石市の日本初の高炉跡など、幕末から明治にかけて日本の近代化の足跡を示す産業施設や史跡群です。
昨年に世界遺産に登録された富岡製糸場も明治の近代化の代表格ですが、繊維産業の富岡製糸場に対して、こちらは造船、鉄鋼、石炭など重工業の成長過程を示しています。
明治日本の産業革命遺産は従来の世界遺産候補にはない特徴があります。その1つは「シリアル・ノミネーション」(同種遺産の一括推薦)という手法です。これは、単独では世界遺産になりにくいものでも、幅広い各種の遺産を一つの集合体としてまとめると普遍的価値が明確になるという考え方で、日本政府や関係団体は「非西洋地域での産業発展の道程を時系列に示している」と訴えてきました。
もう1つの特徴は稼働中の施設を含む点です。三菱重工業長崎造船所内にあるジャイアント・カンチレバークレーンや新日鉄住金八幡製鉄所内の修繕工場などは100年以上にわたって稼働し続けています。これは驚異的なことで、日本のモノづくり技術の高さを示すと同時に、稼働やメンテナンスの面でも丁寧できめの細かい日本製造業の特質をよく表していると言えます。
私はこの2~3年で、これら施設の多くを見て回りましたが、いずれも西洋の最新技術を導入しながら、日本固有の技術や文化とうまく融合させていたことに気づかされました。たとえば伊豆の国市の韮山反射炉がありますが、反射炉というのは、耐火煉瓦を高く積み上げて塔を建設し、内部で燃料を燃やして銑鉄を溶かし鋳型に流し込んで大砲などを作るものです。炉の内部は1500度の高温を保つ必要があるため、耐火煉瓦は高い品質が要求されます。その韮山の反射炉と並んで薩摩藩や佐賀藩なども反射炉を建設していましたが、その建設にあたって薩摩藩は薩摩焼、佐賀藩は有田焼の陶工を動員して、高品質の耐火煉瓦をつくるのに成功したそうです。韮山の反射炉はその佐賀藩の技術支援を得て建設されたものです。
(ちなみに、佐賀藩の反射炉は残っていません。薩摩藩の反射炉は土台の基礎部分だけ現存しており、長州藩の萩にも反射炉跡が残されています。これらは今回の産業革命遺産の構成資産の一つとなっています。)
これらはまさに日本のモノづくりの原点です。それは今日の我々にも脈々と受け継がれ、日本経済の底力となっているのです。したがってこれらが世界遺産に登録されることは、今日的に非常に意義深いものがあります。
今回の勧告を受けて、さっそく観光客が押し寄せている所もあるようです。地元の各地では、7月の登録決定を目指して、さらに活動を活発化させようとしていますが、今後増えると予想される観光客の受け入れ態勢の整備、軍艦島など老朽化している一部施設の保存などが早くも課題として浮かび上がっています。また稼働中の施設が含まれるため一般には公開しないものもあり、その施設の価値をどう広く伝えるかも課題です。関係者がさらに知恵を絞って、先人たちの足跡と心意気を伝えていきたいものです。
世界遺産への登録決定まで、あと一息です。引き続き皆さんのご支援をお願いします。そして皆さんも機会があればぜひ訪れてみてください。日本経済の底力を実感できますし、先人のエネルギーをもらって元気になれると思います。
*本稿は、ストックボイスHPのコラムに掲載した原稿(5月8日付け)を一部加筆修正したものです。