歴史コラム「歴史から学ぶ日本経済」

Vol. 11 富岡製糸場の世界遺産登録~産業遺産の今日的意義

(2014年7月2日)

モノづくりの原点伝える富岡製糸場

富岡製糸場の世界遺産への登録が決まった。近代日本の産業遺産が世界遺産に登録されるのは初めてだ。富岡製糸場は1872年(明治5年)に操業を開始し、近代産業の先駆けとなったことで知られるが、その価値は単に歴史的な「遺産」ということにとどまらず、日本のモノづくりの原点を今日に伝えるものだという点にある。日本のモノづくり復活が叫ばれている今、富岡製糸場の世界遺産登録が決まったことはたいへん喜ばしい。

と同時に、この貴重な史跡をきちんと保存し維持管理してきた繊維メーカー、片倉工業の功績は大きい。同社は1939年に富岡製糸場の民間最後のオーナーとなって操業してきたが、1987年に操業を停止した。しかしその後、富岡市に寄贈するまでの18年間、管理事務所を置いて社員も配置し、建物と機械類の維持管理や修繕、敷地内の芝生の手入れを続けてきたという。維持費が年間1億円もかかったそうだが、それでも歴史的文化的価値を重視して「売らない、貸さない、壊さない」を合言葉にして保存してきたという。ここに日本企業の高い志が表れていると感じる。これもまた一つの産業遺産と言えるのではないだろうか。富岡製糸場を見学する際には、そうした点にも注目してほしいと思う。

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来年は「明治の産業革命遺産」の世界遺産めざす

日本政府は富岡製糸場に続いて、来年は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の世界遺産への登録を目指している。これについては以前に本コラムで書いたことがあるが(歴史コラム Vol.6=2013年9月29日付け、および Vol.7=2013年11月19日付け)、軍艦島の名で知られる長崎市の端島炭坑、長崎造船所、八幡製鉄所など、九州・山口を中心とする8県の28施設で構成される史跡群だ。富岡製糸場の繊維産業に対して、こちらは幕末から明治にかけての重工業の施設群だ。

実は驚くべきことに、このうちの一部の施設は今でも稼働している。三菱重工業長崎造船所にあるジャイアント・カンチレバークレーンは1909年に建設されたものだが、タービンなど最大200㌧の大型機械を船舶に搭載したり陸揚げするため、100年以上にわたって稼動し続けている。それだけ機械を大事に使い、しっかりメンテナンスしてきたわけで、ここにも日本企業の底力が表れている。

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倉敷に残る「繊維から先端産業へ」の軌跡

このように、近代化の足跡を示す産業遺産は全国各地にも多い。経済産業省は上記の富岡製糸場や九州・山口地区の産業革命遺産などを含む60件余りを「近代化産業遺産群」にしている。

その一つに倉敷市の「倉敷アイビースクエア」がある。ここはクラボウ(倉敷紡績)の創業の地である。倉敷紡績がここに紡績工場を設立したのは、富岡製糸場操業開始から16年後の1888年(明治21年)で、1973年まで操業していた。操業停止後に複合観光施設として再生され、現在ではホテルを中心に記念館、展示館、散策コースなどがある。

アイビースクエアには、創業当時からのレンガ造りの工場建屋や外壁がそのまま残されていて、ホテルなどの一部として使われている。アイビーという名前の通り、ツタの葉と枝が建物の壁面全体を覆い、歴史を感じさせる施設だ。倉敷は古い蔵屋敷や街並みが残っていることで有名だが、アイビースクエアはそうした周辺の景観とも調和しており、多くの観光客が訪れている。

倉敷紡績はここを中心に繊維メーカーとして発展を遂げ、日本の近代化に大きな役割を果たした。また同社から枝分かれして大正年間に設立された倉敷絹織(現・クラレ)は化学繊維事業で培った技術をもとに、今では液晶ディスプレー用偏光板の主材料となる光学フィルムでは世界市場で80%のシェアを占める存在になっている。アイビースクエアには、このような明治の近代化から今日の最先端産業に至る歴史が詰まっている。

これらの近代化産業遺産は決して「過去の遺産」でもなく、単に昔の日本を懐かしむ場所でもない。産業遺産を見ていると、日本経済と日本企業がたどってきた道をしっかり認識することができ、底力を感じる。それは、未来につながるものなのである。安倍政権は日本経済再生を目指して成長戦略を策定したが、こういう時こそ、先人の残してくれた産業遺産に目を向け、それを受け継いでいくことが日本経済の今後の成長につながるのだと思う。

*本稿は、株式会社ペルソンのHPに掲載したコラム原稿(2014年6月25日付け)を加筆修正したものです。

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